ブックタイトル長岡の大花火 ’12 オフィシャルガイドブック

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概要

長岡の大花火 ’12 オフィシャルガイドブック

C y o u s e i B a s h i初期の長さと幅「長岡みやけ」によると(1)大橋、長さ二百二十四間、幅二間二尺、(2)中間橋、長さ七間三尺、幅一間三尺(3)小橋、長さ五十間、幅二間。これには中州の小川の橋についても記録があり、大小と中間の三つの橋を総称して「長生之三橋」と呼んでいた。鉄橋長生橋と花火 300年もの長い年月、信濃川の両岸は渡船で結ばれていた。文明開化の明治期に入ると、維新政府の諸施策により、新旧制度がめまぐるしく展開。その後この信濃川に一大橋梁を建造しようとする議論が行われ、ついで明治9年に木造の長生橋が落成した。建設当初、龍が中州に腹を付けて寝ている様に見えることから「臥龍橋(がりゅうばし)」という名前が付けられていたが、開通の際、長岡の「長」と草生津の「生」の字を取って「長生橋」と名付けたといわれる。水島爾保布筆「長生橋の図」水島爾保布が描いた信濃川の花火。庶民の夏の風物詩として、庶民の間で親しまれていた。参考文献 浅田外史著/信濃川歴史探訪 長岡郷土史研究会著/長岡郷土史大正期の長生橋長生橋の由来長生橋の歴史長岡市の夏の風物詩ナイアガラ花火が長生橋と大手大橋から流れていく。夜空の花火にひそかに照らされる長生橋のトラスは、幻想的で美しい。その美しき長生橋の歴史をこのページでは紐解いていく。現在の鉄橋 長生橋 長岡市19 3 7.108 5 0. 8m所在地竣功年長さC Y O U S E I B A S H IS T O R Y明治9年に最初の長生橋が架設されると、翌年には長生橋下柳島で花火が打ち上げられるようになる。そして、昭和 年に長生橋そのものを使った仕掛け花火が花火師・嘉瀬誠次氏によって誕生した。当時の花火目録によると、「新趣向大仕掛」とあり、〝長生橋四百八十間全長にわたり川面に向かって滝を落し、中州よりスターマインを打上げる外、水中煙火を縦横に遊泳せしむ、世界一ナイアガラ瀑布さながらの大仕掛?とうたわれている。28木造の長生橋は洪水によって度々破損し、昭和7年の県会で鉄橋に架け替えることが可決された。オーストリアの技師ゲルバー提案の型式を採用した長さ851m、十三連の優美なトラス橋は完工したのは昭和 年 月 日だった。それから今日までおよそ 年間、車社会になった今日でもみんなの生活を支えている。127512106 0 5 9